Home - Interview - コンピュータの特殊部隊「受託開発にこだわる必要がある」株式会社トランス・ニュー・テクノロジー 代表取締役社長 木村光範
January 21 , 2009 21:30 takety  
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「みんなそれぞれマニアックなスペシャリティーを持っている」という株式会社トランス・ニュー・テクノロジーは、「開発分野を特化させない」ことが強みで、とにかく受託開発にこだわっている。創業メンバーは名門進学高の開成中学・高校時代の先輩後輩。当時から「みんな物づくりが大好き」だったという木村社長に起業に至るまでの軌跡と今後について話を聞いた。

「ハードとソフトの両方できるから一番いいものを提案できる」

西日暮里にオフィスを構え、自らの会社を「コンピュータの特殊部隊」と表現する。

「こんな小さい会社で、こんなに色んなことをやっている会社は他にないんですよ」

“広くて深いスペシャルティで感動品質を創造する”をコンセプトに、開発分野は、ネットワークプロトコル・コンパイラ・CPUの研究開発、FPGA・デバイスドライバ・ファームウェアの開発、グリッドコンピューティング、並列コンピューティング、数値計算から経営・マーケティング・医療・福祉情報システム、コミュニケーション支援システム等データベースやXML,Webをベースとしたシステムに至るまで非常に幅広い。

組込み系に強いとか、Javaが得意だとか、会社として特定分野に特化していくことは敢えてしない方針。ネットワーク機器ひとつとっても、どこまでをネットワークの機器にやらすのか、どこまでをソフトウェアでやるのが最適設計なのか。

顧客が本当に求めていることに対して最適な解を見つけ出すために、色んな分野のスペシャリストを社内で抱えており、「ハードとソフトの両方できるから一番いいものを提案できる」と木村社長。

あらゆる分野に適応できるのが強みだ。


「受託開発にこだわる必要がある」

「株式を公開して会社を手放してしまう。そのプロセスはあまり面白くない」と木村社長は言う。

事業のひとつひとつの規模が大きくなってくると、創業メンバーだけの資本では追いつかなくなってくる。必然的にファイナンスをする必要がでてくる。

それでも、何らかのしがらみが少しでも生じてしまう可能性のある資本は調達しない考えだ。

現在の株主構成は、木村社長を含む総勢 65名の個人株主からなっており、そのすべては従業員や身内をはじめとする人と人の信頼関係によって繋がっている個人の人たちばかり。

「お客様に感動を与えるのが我々の仕事。そのためには受託開発にこだわる必要がある」
木村社長は「我々が良いと思うものしか提供しない」と言い切る。

とはいえ、自社技術を商品化していく事業展開も、子会社といった形では積極的に考えている。現在は、スイッチングハブやルーターなどの独自商品を手掛ける株式会社セキュアTNT(資本金 2,200万円)を100%出資子会社として展開しており、将来的には同子会社のIPOも視野に入れている。その他、新しいプロジェクトもいくつか動いており、2009年早々にも発表する考えだ。

また、未公開企業では珍しくIRにも積極的だ。「株主、従業員、お客様に関係なく同じ情報を公開していく」として、「事業報告書」という形で業績等をすべてWeb上で公開している。

株式公開が出来ないのではない。公開会社としてもおかしくないくらいのコンプライアンスやコーポレートガバナンスなどをきちんと兼ね備えた会社でありたいというのが、木村社長の考え方だ。

「これからは、すべての会社組織に求められてくると思うんです」


「みんなで一個のものを作りあげる何かをやりたい」

創業メンバーは、木村社長のほか、開成中学・高校時代の先輩だった中野博樹氏と伊倉広徳氏の三人。

「みんなで何か一つのものを作りあげることをやりたい」

その共通の思いが株式会社トランス・ニュー・テクノロジー誕生のきっかけだった。

一方、当時会社を設立するには、株式会社なら1,000万円、有限会社なら 300万円が必要だった時代。「資本金をどうしょうか」

その時、創業メンバーの一人、伊倉広徳氏がこう持ちかけた。

「会社組織が一つ余っているんだよね」

同社の前身は、伊倉広徳氏の父、伊倉一孝氏(現取締役)が経営するソフトウェアサイエンス株式会社の子会社で、当時の社名は、テクノセンター株式会社(1990年11月に設立)だった。ソフトウェアサイエンス社はソフトウェアの会社だったが、ハードウェアも扱える会社ということで立ち上げたのがテクノセンター社だった。しかし、1995年頃、ちょうどバブル崩壊などで市場環境が悪化し、本業に専念することを理由に、テクノセンター社は休眠会社となっている状態だったのだ。

当時社長だった伊倉広徳氏の父、伊倉一孝氏も「資本金は、1,000万円だけど、実際は、700万円しかないよ。それでもよければ、自由に使ってもいいよ」と休眠中だった会社を使っていいことを了承。

こうして、1997年8月、創業メンバーの 3人は取締役に就任。社長には、引き続き伊倉広徳氏の父、伊倉一孝氏に兼務してもらう形だったが、社名をテクノセンターから現在のトランス・ニュー・テクノロジーに変更し、事業を開始した。


「お前が一番判子を使ってるんだから」

創業メンバーで、開成中学・高校時代の先輩 2人は、とても優秀なエンジニアだった。

「私は私で自分のことを優秀なエンジニアだと思っていたのですが、(先輩)2人とやっていると自分の力のなさに痛感する日々だった」と木村社長は当時を振り返る。

先輩 2人に出来なくて自分に出来ることは何だろう。そう考えたとき、彼らよりも得意だったのが、契約書や見積書を作ったりだとかバックオフィス的なことだった。

「2人のようなスペシャリティな人たちや若くて優秀なエンジニアたちのバックアップに回ろう」

木村社長はそう決意した。

ちょうどその頃(2000年)、これまでオフィスは親会社のソフトウェアサイエンス社から間借りしていたが、そろそろ単独で構えようということに。そこで契約書回りから机の発注まですべてを取り仕切ったのは木村社長。以降、気が付けば自然と社長の判子を一番多く使うようになっていた。

もともとも創業メンバー 3人の関係は同等で、給料も同じ。社長は誰がやってもよかった。それでも、そろそろ「誰が社長になる?」となったとき、「お前が一番判子を使ってるんだから」と、“一番社長らしいことをやっていた”木村社長が、2002年9月、正式に代表取締役社長に就任する形となった。


「とにかく物づくりが大好きなメンバーだった」

起業当時は、まだ電気通信大学大学院の修士課程の学生。専門分野は品質管理だったこともあり、一応、マネジメントにも興味は持っていた。

「マネジメントも良いし、エンジニアをやるのもの良いし。当時はまだ決めかねてましたね」と話す木村社長だったが、当初から起業家志望があったわけではない。

むしろ「起業って何?会社を作るって、イマイチ意味がわかんないな」そんな状況だった。

先輩の中野博樹氏も京都大学大学院の修士課程の学生で、木村社長と同じ状況下にあった。中野氏は、高校の 2つ上の先輩だったが、大学に入るときに 1つ差になり、大学院に入るときには同じ学年になっていた。

「大学を出るのは、彼の方が 2年遅かった」と木村社長は笑う。

もう一人の先輩、伊倉広徳氏は、開成高校を中退。その後は、舞台照明をやりながら“流しのエンジニア”をやっていたり、父親の会社を手伝ったり。3人の創業メンバーの中でも異色の経歴を持っているが、「エンジニアとしての技術は世界でもトップレベル」と木村社長は評価する。

ただ、3人で共通していることは、とにかく物づくりが大好きなメンバーだったということ。

現在、創業メンバーの一人、伊倉広徳氏は取締役から外れており、普通の従業員として勤務している。マネジメントというよりも、“もっと技術を追求したい”という理由からだ。また、「興味分野が幅広い」という中野氏は、同社の他にプロバイダーと飲食店の 2つの会社を経営。

それぞれがトランスニューテクノロジー社に100%コミットしながらも、自分達の世界を持っている。

「うまく抜くところがあるから、(3人が)空中分解せずにこれまでやってこれたのかな」


「どこかで一番じゃないと嫌なんですよ」

「日本の社会を変えていくには、まずは地域を活性化していかないといけない」と、休日は、大好きな荒川区の地域活動に積極的に取り組んでいる。

趣味は、食べ歩き、ワイン、ダイビング、旅行など多岐に渡る。旅行は、2007年末に高知県を旅行したことで、ついに47都道府県を制覇。

「何でもやりたくなってしまう。できないのが悔しい。できないなら勉強するか、完全にあきらめるか。やるからにはとことんやりたい」

そんな木村社長の小学生時代は、父親が中古車業を営んでいた影響もあり、車の車種を全部覚えていたような子供だった。勉強することは、もともと大好きで、塾には週 6日通い、名門の開成中学にもトップクラスの成績で入学した。

ところが、中学・高校時代になると成績が急降下してしまう。学校の勉強以外のことにはまってしまったからだ。

「授業中も電子工作の勉強ばかりやってましたね」

気が付けば成績は、400人中 380番。開成高校の半数は東大に進学する中で「東大じゃなかったら別にどこでもいいかな」と木村社長は電気通信大学に進学。大学入学後は「結構頑張った」という言葉通り、大学院を主席で卒業。

「どこかで一番じゃないと嫌なんですよ」


「職人が報われる社会を作りたい」

「世界に誇れる何かをもっているかどうか」

これが従業員の採用基準。ただし、「謙虚じゃないとだめ」と付け加える。

「何らかのスペシャルティーを持っている人は、他分野のスペシャルティーの人の気持ちがよく分かると思うんですよね」

現在、正社員 21名中の17名はエンジニア。さらに役員全員がエンジニアで、「営業がいない、そこが弱いところ」と本音をこぼすが、みんなそれぞれマニアックなスペシャリティーを持っており、自分達が“職人”であることに誇りを感じている。

「本当に頑張っている人、“職人”は、なかなか評価されずらい。でも、そういう人が本当に報われる社会を作りたい」

木村社長の夢だ。

取材日 2008/12/26

ベンチャーデータベース株式会社トランス・ニュー・テクノロジー



【訂正】本文中の「とにかく物づくりが大好きなメンバーだった」の段落にて、伊倉氏の名前を“宏典” と記述しておりましたが、“広徳”の誤りです。該当箇所を訂正の上お詫び申し上げます。

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