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ARが身近になってきた。日本では iPhone だけでなく、Android にも対応したセカイカメラがあまりにも有名だが、AR 三兄弟と呼ばれるクリエイティブユニットの活躍など、目に触れる場が増えてきている。海外でも、マーケティングへの活用だけでなく、サービス化に向けた試みもたくさん出てきている。ここでは、AR の捉え方を整理しつつ、AR のサービス化について考えてみたい。
AR に対する2つの捉え方
AR は、あらためて言うまでもないが、Augmented Reality の略である。日本語では、拡張現実と訳されているように、ある Real な対象に対して、Virtual な要素を重ね合わせることで、知覚される現実を拡張するという技術の総称である。しかし、Real と Virtual の融合などと言ったところで、その応用範囲はあまりにも広大だ。そこで、考えやすくするために、便宜的に2つに分けて捉えてみよう。
1つは、Real な対象はきっかけとして、そこに Virtual な要素を投影することで知覚される現実を拡張するという考え方である。例えば、カメラ等でマーカーを認識させることで、そこに 3D のキャラクター等の映像を投影して、あたかも現実の中でそのキャラクターが動いているかのように見せる方法である。この場合は、あくまで Virtual の方にアクセントがある。そのため、Real な背景情報を利用しつつも、現実にはあり得ないような体験を演出することが可能だ。
もう1つは、Real な対象に対して、その注釈として Virtual な要素を付加するという考え方だ。こちらは、Real の方にアクセントがあり、Real な対象をより深く認識するための付加的な情報として Virtual な要素を利用することになる。美術館の作品や観光地のモニュメントなどの Real な対象に対する説明の付加などが例に挙げられるだろう。
繰り返しになるが、この2つは便宜的な分類にすぎない。Real と Virtual を両端としたスペクトルの中で、いろいろな活用が出来るという考え方もある。ただ、インパクトを演出しやすい前者がマーケティングに使いやすいのに対し、既存の情報が活用しやすい後者がサービス化しやすいという違いはありそうだ。ここでは、前者は措いておいて、後者に対して考えてみる。
Real な対象への注釈としての AR
AR を Real な対象の注釈、つまり Real な対象に対する経験から得られる意味を拡張する技術として考えた場合、その拡張の方向性には、次の3つの軸が考えられる。
(1)対象そのものの拡張
(2)過去や未来といった時間軸の方向の拡張
(3)対象に関する人の活動というソーシャル性を取り込んだ拡張
ところで、ReadWriteWeb で、Can Augmented Reality Help Save the Print Publishing Industry? という記事があった。これは、新聞や雑誌などの印刷物に対してARを適用することで既存の出版物の生き残りのヒントが得られるのではないかという内容だ。この示唆を受けて、上記の3軸を新聞や雑誌などの書籍に適用した場合を例にして考えてみたい。
(1)対象そのものの拡張
AR はそのテクノロジー性の強さからか、3D と結びつけられることが多いようだ。恐竜の絵本に対して PC に接続されたカメラをかざすことで、PC 上でその恐竜が動きだすといったサービスが登場している([jp] AR はビジネスになるのか?幼児向け AR ブックを25万部セールスした LEOVATION の方法 ※出典:TechCrunchJAPAN)。しかし、注釈の仕方は 3D だけではない。書籍に DVD などで映像コンテンツが付録としてついている場合があるが、雑誌や書籍の写真への AR 的な注釈として映像が動き出すということもありうるし、あるいは、紙面に載せきれない画像を提供するということもあるかもしれない。いずれにせよ、書籍という紙に拘束されたメディアの制約上できないことを、スマートフォンや PC などの別のメディア上で付加的に提供するということがこの軸の特徴といえるだろう。一般化すれば、Real な対象の物理的な制約上困難な表現を、別のメディアで提供するということになると言える。
(2)過去や未来といった時間軸の方向の拡張
当然のことながら、書籍はそれが発行された段階で内容が固定されるという特徴がある。そのため、引用や参照された他の文献や記事などは、必然的に過去のものに限定されてしまう。また、過去のものであっても発行時点で認識されていなかったものは掲載しようがない。これらを参照可能な状態にするということは、その書籍で提供された経験をさらに拡張するということになりうるだろう。例えば、ある雑誌で掲載された記事をカメラ上に映し出すことで、そこに重ね合わせた形で発行後に起こった事象の説明が付加されてくるといったことが考えられる。著者が発行後に書いた書籍や記事でも良いかもしれない。
書籍であれば、確かに専用のウェブサイトの URL を載せておけば十分かもしれず、こういった事例は AR とは呼ばないという意見もあるかもしれない。しかし、ARを、Real と Virtual を関係づける技術と捉えた場合、そこから得られるアクセシビリティに意義があるといっても良いように思われる。つまり、Real な体験を残しつつ、Virtual でえられる情報を重ねていくという見せ方といえる。一般化すれば、これは Real な対象をインプットとした検索サービスの提供と言えるかもしれない。
(3)対象に関する人の活動というソーシャル性を取り込んだ拡張
同じ雑誌の記事を読んだ人がその記事に対する意見を相互に参照するという意味では、既にウェブ上の記事で様々に展開されているやり方であり、それが Real な対象になったにすぎないとも言える。もちろん、ウェブ上での情報に限定されずに、Real な対象に対してのやり取りが可能になるということは大きな意義がある。ここで難しいのは、Real な対象と言ったときに、どういう単位でそれを切り取るかということだ。雑誌の例を続ければ、雑誌単位なのか、ある特集単位なのか、記事単位なのか、あるいは、そこで記された一文を単位とするのかという問題だ。ウェブ上であればあらかじめ単位を指定することは比較的容易にできる。一方で、Realという連続体を対象にする場合は、まずその設定をどう認識してもらうかということが課題となってしまう。そこには、コミュニケーションの対象としての枠組みづくりが必要となり、それは、コミュニケーションの目的に依存することになるだろう。
まとめ
以上3つの軸に関して考察してみた。比較的抽象的に記述してきたが、わたしが知らないだけで既に実用化されているサービスもあるかもしれない。この考察に意味があるとすれば、AR はひとつの考え方、しかもかなりテクノロジードリブンな要素であるということを再認識してもらうことのように思われる。つまり、その対象の切り取り方によって、多くの可能性がありうる。が、逆に多くの可能性がありすぎて、焦点が定まりきらないリスクがつきまとってしまうということだ。どういうシチュエーションで誰に何を提供するのか、というサービス設計にとって当たり前のことを当たり前に考えることがやはり重要になってきている。言い換えれば、ARという技術が、技術的な可能性の模索だけでなく、そういったRealな可能性を検討する段階には入ってきたということであり、いよいよ本格的なサービス化が期待できるということではないだろうか。
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